小さなことでイライラするのを止める方法
些細で小さなことにイライラしてしまう事はありませんか?
人が一番疲れるのは、実は小さなイライラかもしれません。
ほんの些細なこと、他人のちょっとした言動など、考えてみれば小さなことなんだけれども、そんなことにイライラしてしまったという経験は誰にでもあることです。
それはあまりにも些細なことなので、そういう機会はたくさんあって数え挙げればキリがありません。
そういうとき、「どうしてこんなことに自分はイライラしてしまっているのだろう?」と自己嫌悪に陥ったりすることもあります。
ここでは、「些細なことにイライラしない方法」また、「どうしてイライラしてしまうのか? 」ということについて考えていきます。
どうして些細なことでイライラしてしまうのだろうか?
人はどうして些細なこと、後で考えてみればイライラしなくてもいいようなことでイライラしてしまうのでしょうか?
人はときにはおおらかな気持ちでいられるときもあり、逆に、ささいなことでイライラしてしまうときもあります。
些細なことでイライラしてしまう時は、心に余裕がないときです。
イライラというのは、ストレスの一種ですが、ストレスは心の中に溜まっていきます。
心の中には、ストレスを溜めるための容量が個人、個人に決まっています。
そして、その容量が一杯になるまでストレスが溜まってしまうと心の余裕がなくなってしまいます。
こうなってしまうと、本当に些細なことなのに許せなくなってしまうということが起こってきます。
「心がうまく働かなくなってしまっている」といったほうが適切でしょうか。
こうなってしまったときには、ストレスが溜まってしまった心に、少し隙間を開けて、心に余裕を取り戻すことが大切です。
人間は、心に余裕がある時はそれほどイライラせずに済んだり、ときには笑顔でスルーすることもできたりします。
この心の余裕を取り戻すためには、心に溜まったストレスを捨ててしまう必要があります。
怒りやイライラは自分を守るために働いてくれる「交感神経の防御機能」
「怒り・イライラ」という感情は、自分、または自分の何かを守るために湧き上がってきます。
イライラは、自分、あなたは自分の何かを守るために働いてくれる、いわば「交感神経の防御機能」です。
怒りやイライラの感情は、自分を守るために毎日働いてくれています。
例えば、横断歩道を渡ってたら、スマホを覗き込みながら自転車に乗り、前を全く見ずにこちらに向かってくる人がいたとしましょう。
このようにイライラしてしまうのは、自分の「交感神経の防御機能」が「この自転車が自分の主にぶつかったら大変だ!」と感じて働いてくれたことになります。
「危ないなぁ」と思うから、万が一のときには避けることができます。
これが何も感じなかったら、避けることができずに、ぶつけられてしまって大怪我をしたかもしれません。
実は、「危ないなぁ」と怒りやイライラのようなものを感じたとき、体ではいろいろな変化が生じています。
例えば、血圧が上がったり、交感神経が優位になったりしています。
これは、「交感神経の防御機能」が体や脳に対して、いつでも戦える準備・いつでも動ける準備をするように伝えたからです。
体は、「交感神経の防御機能」の指令を受けて、血圧を上げたり、交感神経を優位にすることで、危険を避ける準備をしているわけです。
これがもし「交感神経の防御機能」が働いていない場合、身体はリラックスした状態で、副交感神経が優位になっていて、先程の例では、とっさの場合に自転車を避けられなかったかもしれません。
この「交感神経の防御機能」は、自分または自分の何かを守るために働くものですが、守るものは自分の体だけではありません。
しかし、この「交感神経の防御機能」は少し不器用で、場合によっては、守らなくてもよいものまで守ろうとしてしまうことがあります。
例えば、歩道を歩いていたら、後から誰かが「ドン! 」とぶつかってきて、謝りもせずにそのまま走り去っていったとしましょう。
このようにして、「交感神経の防御機能」が勢いよく発動します。
ところが、一緒に歩いていた友人に「失礼な奴だね(怒)。」といったら、その友人が「ぶつかったとき、頭を下げていたよ。泣いていたみたいだけど… 。何かあったのかな?」といってきました。
「なんだ… そうだったんだ…」と納得して、イライラは消えていきました。
このように、「交感神経の防御機能」はただ守ろうとするだけしかできない不器用な面があります。
小さなこと、些細なことにイライラしてしまうのは、この「交感神経の防御機能」が働きすぎているのかもしれません。
交感神経の防御機能が働き過ぎる理由と不安
「交感神経の防御機能」が働きすぎる理由の一つに「不安」があります。
「不安」も「交感神経の防御機能」と同様に、自分のために働いてくれるものの一つですが、実は、「イライラ」と「不安」の間には密接な関係があります。
先ほど例を挙げた、前を見ないで自転車に乗っている人を見て、イライラしてしまったわけですが、人は身の危険を感じたときイライラしたり怒りの感情が湧いてくることがあります。
先程の例では、ぶつけられるかもしれないというリスクが実際にあったわけです。
ただ、そんなことがあった数日後に、ふと歩道橋の上から下の道を見ると、また、スマホ片手に前を見ないで自転車を運転している人を見ました。
するとどういうわけか、「イラツ(怒)」ときました。
この時は、歩道橋の上にいるのですから、自分の身に危険があるわけではありません。
それにもかかわらずイライラしてしまったのは、歩道橋の上から見えた、「前を見ないで自転車を運転している人が、次に自分が歩いているときに前からやってきたら…」と思って「不安になった」のかもしれません。
この場合、「交感神経の防御機能」が守ろうとしたのは、将来の自分の安全ということになります。
つまり、前を見ないで自転車を運転している人からいつか被害を受けてしまうかもしれないという「不安」が湧き上がったからです.
そういった「不安」の感情を受けて、「交感神経の防御機能」は「これは危険だ…」と発動したのです。
そういう意味で、「交感神経の防御機能」は「不安」に対して忠実で、また自分の考えにも非常に忠実であるといえます。
自分が危ないと思ったら、「交感神経の防御機能」も危ないと感じて発動します。
「交感神経の防御機能」は、それが「本当に危険かどうか」を考えてはくれません。
前を見ないで運転する自転車にイライラする人としない人
先程の前を見ないでスマホを見ながら自転車を運転する人にイライラしてしまうという話に戻ります。
この場合、イライラしたのは、「自分がぶつけられてしまうのではないか? 」という不安が沸き上がったからです。
そして、その不安を「交感神経の防御機能」が真剣に受け止めたからです。
しかし、このような場面でもイライラしない人もいます。
前を見ないで自転車を運転する人にイライラしないで、「さっ」と避けて何事もなかったかのように歩いて行く人もいます。
「イライラした人」と「イライラしないで歩き去った人」では、何が違うのでしょうか?
どちらの人にも「交感神経の防御機能」が備わっていて、「不安」という感情も持っています。
それでは何が違ったのでしょうか?
それは、「不安を真に受けたか、不安を真に受けなかったか」という違いかもしれません。
前者のイライラしてしまった人は、「いつか自分がぶつけられてしまうかもしれない」という自分の中に湧き上がった不安を真に受けています。
そして、その不安をそのままその通りに受け取って、「危険だ」と感じてしまったのです。
後者のイライラしなかった人も、不安という感情は持っていますが、真に受けてはいないのです。
つまり、「いつかぶつけられてしまうかもしれないと」いう「不安」からのメッセージをそのまま受け取ってはいないということです。
これは、「不安」も「交感神経」と同じで不器用だからです。
不安は、「〇〇が起こるかもしれないよ」と伝えてはくれますが、それが「実際に起こりうることなのか、またはどれくらいの確率で起こるのか」とかそういうことは、一切考えてくれません。
それを後者の人は、「そういうことはあるかもしれないね。けれど、その確率は低いんじゃないだろうか。避けることだってできるよ。そもそも前を見ないで運転している自転車ばかりじゃないんだよ。」
などと、「不安」という感情からのメッセージに対して、「理性」で論理的に考えています。
後者の人は、「感情」を「理性」でコントロールしているわけです。
だからこそ、不安に振り回されてしまわないで、「交感神経の防御機能」も「これは大丈夫なんだ」と発動しないで済んだのです。
「交感神経の防御機能」が働きすぎる理由の一つは「不安」ということですが、小さなことにイライラしないためには、不安の性質を知り、それを自分の「理性」でコントロールしていくことが必要です。
なんだか難しそうに聞こえますが、魔法のように聞く簡単な言葉があります。
それは、不安が沸き上がった時、
このように、自分に問いかけてみることです。
「本当にそうだろうか?」と問いかけることにより、本当にそうであるかどうかを考えるために、他の可能性を探る必要が出てきます。
感情で物事を考えているときは、ひとつのことだけしか見えていないことが多く、だからこそ「本当にそうだろうか?」と自分に問いかけてみることが効果的です。
そうすることで、狭くなっていた視野を広げることができます。
また、守ろうとしているものは、自分の体だけではなく、自分の「名誉」であったり、自分が大事にしていることやものであったり、様々なものがあります。
そうしたものを守ろうとしたときにも、やはり同じようにイライラとした感情が湧き上がってくることがあります。
このようなときにも、「本当にそうなのだろうか?」と考えてみることは効果的でしょう。
例えば、友人のいった一言が「自分を馬鹿にしている」と思って、イライラしてしまったとします。
後で考えてみると、どうでもいいような些細なことでした。
そして、その友人にその言葉の真意を聞いてみると、自分の誤解だったと気づいて、なんだか恥ずかしくなってしまった、友人に対して申し訳ない気持ちになった。
そんなこともあるでしょう。
このときも、「本当にそうなのだろうか?」「本当に彼は自分のバカにしているのだろうか?」と考えてみる事は効果的な方法でしょう。
「本当にそうなのだろうか?」 と自分に問いかけることで視野が広がり、結果的に感情ではなくて、理性で考えられるようになることが多くあります。
ではどうして、友人の何気ない一言に対して自分が馬鹿にされていると感じてしまったのでしょうか?
これも、些細なことにイライラしてしまう事と何か深い関係がありそうです。
「交感神経の防御機能」が働きすぎる理由と、考え方の癖
どうして、友人の何気ない一言に対して、自分を馬鹿にしていると感じたのでしょうか?
この場合、友人の真意は全く違っていました。
つまり、本当かどうかわからないことに対して、「こうに違いない」と思い込んでしまったわけですが、「~に違いない」という考え方は、一つの可能性しか考えていなくて、柔軟性がありません。
これがもし、「~かもしれないけれど、~じゃないかもしれない」のように、二つの可能性について考えたら、つまり柔軟性があったら、「馬鹿にされた」と考えてイライラすることもなかったでしょう。
「交感神経の防御機能」が働きすぎるもう一つの理由は、「考え方の癖」にある
何かが起こったとき、何を思うか考えるか、いうのは人によってパターンのようなものがあって、それは自動的に起こっています。
先程の「馬鹿にされた」と感じたのも、この「考え方の癖」がそうさせてしまったのかもしれません。
人は、幸か不幸か、主観的にしか物事を見ることができません。
したがって、ついつい自分の価値観とか、自分の中にある考え方で、人や物事を判断してしまいます。
誰かの言動を自分の価値観で判断しようとするとき、相手の価値観や考え方が自分とは違っていたりすることが多くあります。
自分の価値観や考え方で相手を判断しようとすると、すれ違いが多くなって行きます。
こんな時は、相手の立場になって考えてみたり相手の価値観を考えてみると、頭の中でモヤモヤしていたものがすっきり晴れていくことがあります。
「~に違いない」というように思うことが多い人は、どうでもいいような些細なことにイライラすることが多くなる傾向が見られます。
例えば、「向こうから来る人がこっちが避けているのに道を譲ろうとしなかった」ということでイライラすることがあるかもしれません。
この場合、道を譲らなかったという一面だけで相手を判断してしまっているわけです。
この考え方に少し柔軟性を持たせて、「相手に道を譲るつもりがなかったかどうかわからない…」と考えてみたり、
または、視点を変えてみて、「自分から道を譲ろうとした。その優しさがあった自分を褒めてあげよう」というように考えてみただけでも、イライラが解消されるかもしれません。
何か一つの考え方にとらわれずに、少しだけでも柔軟性を持たせてみようと思って続けていると、「交感神経の防御機能」が必要以上に興奮しないようになっていきます。
執着心を捨てるとイライラは止まる
考え方の癖のところで、「~に違いない」という考え方について考察しました。
これがエスカレートして「~でなくてはならない」という考え方になると、その考え方は何かに「執着」していることになります。
「執着」と「イライラ」の間には密接な関係があります。
「執着」とは、一言でいうと「こうでなくてはならない」という思い込みです。
この執着しているもの(思い込み)が多ければ多いほどイライラすることが多くなります。
例えば、「何かをいただいたら、お礼はすぐにしなければならない」という思いや考え方があったとしましょう。
すると、何か贈り物をした場合、その相手からお礼の返事がすぐに来なかったりするとイライラしてきます。
「お礼はすぐにしなければならない」のに、すぐにお礼が来ないからです。
その一方で、お礼がすぐに来なくても全くイライラしない人もいます。
その人たちは、「お礼はすぐにしなければならない」とは思っていない人たちです。
つまり、「~しなければならない」という考え方を減らせば減らすだけ、イライラする機会も減っていくことになるでしょう。
執着を捨てる
「~でなくてはならない」という思いは、自分を苦しめることになります。
「~でなくてはならない」という思いがあって、思い通りにならない現実があったとします。
このとき、自分の思い(理想)と現実との間にギャップが生じています。
このギャップこそが、イライラ、またはストレスだといわれています。
イライラとは「ギャップである」
前述の、「お礼はすぐにするべきだ」という思いを捨ててしまって、「お礼の仕方や、時期は人それぞれによって違う」ということを悟ってしまえば考え方に柔軟性ができます。
それができれば、今後同じようなことがあってもイライラする事はなくなるでしょう。
このように「~するべきだ」という思い込み(執着)を捨てて、考え方に柔軟性を持たせることが大切です。
この方法は、「イライラしている自分を抑えよう」と自分を抑圧するスタイルとは違って、積極的なイライラ解消法です。
これはもちろん簡単なことではありません。
自分の中に長年ある考え方を変えることはとても難しいし、本当に大変なことです。
「執着しているものが多い」なんていうと、なんだか自分が情けないように聞こえてしまうかもしれません。
しかし、自分に厳しい人は多くの場合、自分に対して「~でなくてはならない」という考え方を多く持っていることがあります。
自分に厳しくしてきたことが、自分をイライラさせることにつながっているのであれば、とても皮肉なことです。
しかし、執着していることが多くあると気づいて、それが原因でイライラする自分になっていると気づいた場合は、思い切って反対のことをしてみるのも良いかもしれません。
つまり、自分に寛大になる(自分に甘くなる)が良い方法です。
これは、自分も他人も許せない考え方です。
しかし、自分に甘くなろうと思ったときには、「~できればいいが、~できないときもある」というように思ってみるのも一つの方法です。
イライラしたときというのは、何か執着しているものや考え方があることが多いので、まずそれを見つけます。
次に、その「~でなくてはならない」という考え方を止めて、少し自分に甘くなって、自分の不完全さを許します。
「~でなくてはならない」を止めて「~できない時もある」というように自分が許してみたとき、不思議と人のことも同じように許せて、イライラしなくなったりします。
そういうふうにして、同じことを何度も繰り返して、何度も自分を許していく過程で、どんどんイライラがなくなっていきます。
イライラする時があってもいい
イライラしないためにはどうしたらいいか?
イライラしないためにための方法を考えてきましたが、ときにはイライラすることがあってもいいと思います。
また、人間には怒りや不安という感情が必要な時もあります。
ときには何かと戦わなければならないときもあるし、そのために感情というのは必要です。
特に、イライラや怒りという感情は、エネルギーとしては非常に強いものがあって、自分を動かす強力な原動力になることがあります。
しかし、できれば、不必要なイライラや怒りは少しずつでも減らせていければストレスもたまりません。
これは、多大な時間と根気のいるプロセスですが、自分がその気になりさえすれば変わることができると信じることが大切です。
まとめ
- 「怒り・イライラ」という感情は、自分、または自分の何かを守るために湧き上がってきます
- 小さなこと、些細なことにイライラしてしまうのは、「交感神経の防御機能」が働きすぎているのからです
- 「交感神経の防御機能」が働きすぎる理由の一つ「不安」があります。
- 感情で物事を考えているときは、ひとつのことだけしか見えていないことが多く、だからこそ「本当にそうだろうか?」と自分に問いかけてみることが効果的です
- 「本当にそうなのだろうか?」 と自分に問いかけることで視野が広がり、結果的に感情ではなくて、理性で考えられるようになることが多くあります
- 「交感神経の防御機能」が働きすぎるもう一つの理由は、「考え方の癖」にあります
- 「~でなくてはならない」という思いは、自分を苦しめることになります。
- 「~するべきだ」という思い込み(執着)を捨てて、考え方に柔軟性を持たせることが大切です。
あわてず、一つ一つ実行して、些細なことでイライラしないようになってください。
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